こんな本読んでます

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『身体知(しんたいち)身体が教えてくれること』 内田樹×三砂ちづる

「武道」「教育」「出産」『結婚」「医療」のキーワードが語られ、面白かった!!

以下抜粋。

…「すべての人間はひとりひとり違うかたちでポテンシャルがひそんでおり、そのポテンシャルをどう最大化するのかを工夫するのが身体文化である。武道にたいせつなのは、筋力や骨の強さではなくて、むしろ感度なんです。皮膚の感度ではなくて、むしろ身体の内側におこっている出来事に対する感度。あるいは接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度。」

 

 

「出産で身体知を一挙に取り戻すような経験をしている女性が少なくない。男性が武道でできるようになることが女性は妊娠出産でいっぺんにできる。」 「『この人をしっかりあるがままで受け止める』という力がある人が家庭のなかでもプロとしての医療福祉の分野でも減ってきているのかもしれません。『あるがままをあるがままでいい』と受け止める能力、それがケアの能力の本質。」

「助産師さんはたいへんきつい仕事なんだけれども、助産院で仕事をしている助産師さんが絶対に仕事をやめたくないというのは、産婦さんを受けとめて、受け止められる関係が出来た時の心地よさを覚えているので、やっていける。あるがままを受けとめて、受けとめられているから、ケアしている側も気持ちがいい。」

 

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『こころと脳の対話』河合隼雄 茂木健一郎著

河合さんが益々大好きに・・。以下抜粋です。

河合「科学的なものが正しくて、化学でないものはだめと言う思い込みがものすごい。そこが恐ろしいですね。」 「科学も大事だと認めるけれど、こちらの方法も認めなさい、と。さっきから言うてるように、21世紀の科学はそろそろもうひとつ飛躍するべきだと思いますね。もうしかし、僕はやる気が無いなあ(笑)」

★近代科学が排除してきたもの 茂木「科学はどうも微妙なニュアンスを切り捨てるところから始まるんですよね。 人間のこころ、精神活動というのは実験条件を厳密にコントロールして再現可能なところにだけ顔を出して検証するというアプローチがどうもなじまないんですよ。」 河合「そうそうなじまないんです。ところがそれがないために、それは論文として価値が低いと思われるから本当にこまるんです。」

★ひとつの事例は普遍に通ずる 河合「僕が実際臨床心理学の学会をつくったっとき、『事例研究を研究として認めよう』ということをいいだしたんです。近代科学的な考えでは、ひとつの例というのはそれはひとつの例に過ぎないわけ。ところが関係性とか生命現象ということを考える場合はその、ひとつの事例がものすごい大事やと。」 「事例研究はひとつの作品。事例研究の普遍性は、再現性とかとはとは違う」

★年齢とか性別世代とかまったく社会的な立場とか関係なく人間はギリギリのところになると、みんな同じだ。

★中心をはずさずに 河合「まっすぐに受けとめて聞いてさえいれば相手はかわるはず。だけどねそんなこというけれど、それはほとんど不可能なんですよ。、まっすぐに聞くということは。くるたびに奥さんの悪口いう人に『そう奥さんの悪口ばかりいうなよ』tってうのは、もうはずれているでしょう。悪口いいたがってるんだから、僕はその悪口をバチッと正面から受ける。」

★河合さんの患者さんの言葉 「私が部屋に入ってきたとき、先生は私の顔にも服装にも全然関心を示さなかった。先生は私の話の内容に全然注意しておられませんでした。 人間に魂というものがあるのだとしたら、そこだけ見ておられました・・・。」 河合「その人を動かしている根本の『魂』これとぼくは勝負している。」

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『第三の脳 皮膚から考える命、心、世界 』著者 傳田光洋(でんだ みつひろ) を読みました。

指圧マッサージ師の私にとって経験、感覚として感じてていたものの説明がされていて、おおっ~となりました。文章がちょっと硬いけど、これは皆さんに是非知ってもらい内容です。常識をくつがえされます!

…肌、皮膚に興味のある方、施術家の方おすすめです!! 以下一部抜粋です。

臓器の超エリートである脳と、最後は垢になる表皮、この二つは驚くべきことに「生まれ」は同じ。さらに基本的なシステムも見分けがつかないくらい似ているのです。 皮膚は身体を包むためにある。長くそう信じられてきました。しかし20世紀の終わり頃から、皮膚の様々な能力が明らかになってきました。 皮膚は外側にある「臓器」です。皮膚は外部から様々な情報を受け、その情報を身体に発信し、環境の変化に対して身体が適応出来るようにしているのです。 こころは皮膚に密接につながっています。実は逆もまた然りで、皮膚はこころに影響を与えるのです。 うつ状態の女性にマッサージを施したら、血中のストレスホルモン(コルチゾール)の量が減って、明らかにストレスが改善されたそうです。対照として、身体を動かすストレス解消を試みたのですが、こちらは少なくとも生化学的変化は認められませんでした。 オキシトシンというホルモンがあります。オキシトシンとは出産時の子宮収縮や乳の分泌に関係するホルモンです。動物実験では皮膚接触によってオキシトシンの分泌が促進されたという報告が既にあります。 そのオキシトシンを鼻に噴霧するだけで「他人に対して信頼度が有意に増えた」といいいます。

又オキシトシンを感知する機能を破壊したマウスが攻撃性が増し、かつ母親マウスがまともに子育てしなくなった、という論文が発表されました。 人間社会の基盤である、他者への信頼という感情に作用する物質がある。そしてその物質が皮膚への刺激で分泌されるのです。スキンシップは人間の高次な社会行動に大きな意味をもっていそうです。

こころを育む皮膚感覚 視覚情報にたぶらかされた大人と違って、乳児は文字通り、肌で感じながら成長します。18世紀生まれたての赤ん坊にミルクだけ与え、人間の接触を禁じて、さてどうなるか、という残酷な実験を試みました。その結果、赤ん坊はみな死んでしまったということです。 例えば未熟児の場合も、適度の肌への接触を与えた方が成長が早い、という報告があります。

又硬い針金で作られたミルクの出る母ザルの模型より、ミルクは出ないがふかふかのタオルでできた模型の方に子ザルはまとわりついたといいます。これは皮膚感覚が母子のコミュニケーションに重要であることを示しています。

さらに霊長類ではグルーミング(毛づくろい)という独特のコミュニケーション手段の存在が有名です。 グルーミングによって「快楽ホルモン」として知られるβエンドルフィンが、より多く放出されることが確認されています。 毛のないヒトであればこそ、皮膚への入力が情動に大きな作用をもたらすことは容易に想像できます。 皮膚のケアはこころのケアにつながる可能性が高くなってきました。

皮膚からこころへ向かうベクトルについては多くの報告がありますが、まだ断片的です。 どのような皮膚への措置がどのような効果をこころにもたらすのかが、今後の研究課題です。その成果は新しいこころのケアの方法論をもたらすことでしょう。

ヒトはなぜ体毛を失ったか、ヒトは毛をなくしたことで、スキンシップという新しいコミュニケーションの方法を手に入れたのだと考えられないか。スキンシップによって、ヒトは進化の新しい階段を一歩上ったのではないか。 現代社会では「肌の触れ合い」は極めて少なくなっています。しかし肌の重要性がかつてははるかに高かったのではないか?

日本語では「肌で感じる」「学者肌」「ひと肌脱ぐ」あるいは「肌を許す」など肌という文字を使った表現がいくつかあります。そしてこれらの表現は、単にうわべのことではなく、個人の性格、アイデンティティなどを象徴する意味で「肌」という言葉を使っています。 人間が人間であるために肌(皮膚)が重要な役割を果たした記憶かもしれません。

視聴覚が築きあげた人間の社会でも、皮膚感覚は大きな意味をもっています。 眼で見た世界では説明のつかないことが、皮膚から考えると理解できる。皮膚が見る世界に思いをはせ、皮膚が語ることに耳を傾けることが、今の私たちに必要だと信じます。

視覚と聴覚の世界がテクノロジーの発達で無限にひろがっても、私たちは皮膚が感じる世界から逃れられない。