認知症の父のこと 私の原動力

認知症の父のこと 私の原動力

「認知症の父のこと・・私の原動力」   父のことを詳しく。

平成19年9月62歳のとき初めて脳神経外科に受診しました。

写真はその頃のものです。   歩き方がぎこちなく、ちょこちょこ歩くようになってきたので

私のすすめで相模原協同病院を受診しました。

思い返してみればこのころから口数は少なくなり、書く文字がおかしいなどの症状はありました。

しかし認知症とまでは・・。 病名は「多発性脳梗塞」軽い脳梗塞ということでした。

左に軽い筋力不足がありました。 平成20年12月未公開株の購入。

とんでもない土地購入。

知人にお金を貸す。

うん百万円の金銭トラブルをかかえていました。

家族の話は全くきかず、途方にくれているところに「成年後見人制度」を知りました。

これ以上の被害を食い止めるため動き出す。

 

父は足腰は弱っていましたがまだひとりで出かけたりしていました。

まだ目の届かないところで何をするかわからない。

申請には病院での「認知症の診断」が必要になるのでお願いしました。

 

30点満点のテストで3点!20点以下で疑いありなのですが、思った以上に進行していました。

この頃私の上の子が4才、下の子が1歳、孫の名前を覚えることはありませんでした。

風呂、歯磨きがおっくうになっていき、

 

歯が歯槽膿漏で抜け始め1年ほどで数本残して全部抜けてしまいました。

平成21年4月介護認定を受けました。

 

要介護2、家での風呂が難しいのでデイサービスに週2回行き始めました。

意外に嫌がらず、スムーズに利用開始しました。

6月「成年後見人の申請」が受理される。必要な鑑別書を書いてもらうのに10万円!!

なかなかハードル高かったです。

 

11月、母が急性腎う腎炎で1週間入院することに。

この頃母は仕事が忙しく無理がかさなったのでしょう。

我慢強い母からヘルプがありこれはただごとでないと私が救急車をお願いしました。

両親は2人暮らしですので父のショートステイの手続きなどちょっと大変でしたが、めどが立ちひと安心。

そしてショートステイにいくその日、父が家からいなくなりました。

 

近所をさがしたところ、パトカーが止まってるではないですか!

近づくとそこに父の姿が。おまわりさんいわく

「座り込んで動けなくなっていて、住所や電話番号もおわかりにならなくて・・。」

確かにいつもに比べまっすぐにたてないので

どこかぶつけたのかと心配になり整形外科に行きましたが異常なし。

 

家に戻ってきてショートステイに改めていこうとしましたが、

やっぱり体の傾きがおかしい。 もう5時もすぎてる。

苦渋の選択で母に続いてまたもや救急車をお願いすることに。

 

運よくいつもの協同病院で診察を受け、新しい脳梗塞が見つかりました。

母と入れ違いに父も1ヶ月の入院に・・。

 

この日は長い1日でした。

 

この頃、ナースコールの使い方がわからず、勝手に起きてしまうので、

父はベルトでベッドに固定されてました。

12月退院、家に介護用ベッドを入れました。

幸い後遺症もひどくはありませんでした。ただ排泄機能が低下し常時オムツ使用になりました。

なんとか歩行もできました。

65歳直前滑り込みセーフで障がい者年金の申請が受理されました。

 

この申請スゴク大変でした・・。

病院、市の窓口を行ったりきたり。

実はお医者さんも書きなれていないので、不備があったりするんです。

22年6月私の住む家の近所徒歩10分に引越し。

実家まで車で30分だったのでおもいきって引越しを提案しました。

実家築37年の老朽化が激しく、建て替えか引越しかせまられていたので、

 

母の気持ちも確かめながら行動。

家探しから引越し手続き、すべて取り仕切り無事バリアフリーの家に!! 23年4月66歳。脳梗塞が再発し協同病院に入院。

右麻痺の障害が出ました。

 

1ヶ月入院後。さがみリハビリテーション病院に2ヶ月。

無事7月に退院しました。 食事がほぼ全介助。ベッドの寝返りも難しく、歩行不能。

飲み込みが難しく食欲も低下。

4月に167センチ65キロだったのが、12月現在48キロ。

母や家族のこともわかりませんが、なじみのある人ぐらいはわっかってる模様です。

問いかけに表情の変化はあります。

娘として出来るのは指圧マッサージをしてあげることぐらいです。

やってあげるとグーグー寝ちゃうので、気持ちいいのかな。

ケアマネさんやデイサービス、

 

訪問歯科さんなど介護サービスを利用しながらできるだけ家で過ごして欲しいねと母と話してます。

病気になる前、結婚当初からムチャクチャだった父。 家族をかえりみなかった父。

娘として母に離婚をすすめたこともありました。でもそうしなかった。

今は母と「お父さんほんとにひどい人だったよね~~。」なんて軽口たたいています。

「とうちゃんのおばか!」なんて笑いながら一緒にいる母ってすごいな~~。

認知症はイコール不幸なことではないと思ってます。

大変なことは多いけど、明るく生きることもできます。

 

記憶思考力は低下しても感情は最後まで残ります。

病気で家族の結束が強まっていい時間を過ごせているし、今はとても平和です。

振り返るといろいろありましたが、

この経験が私の今の仕事の「原動力」。 必要な情報を提供してくれるひと

先回りして、すべき事をアドバイスしてくれるひと、

苦労をわかってくれるひと、

ねぎらってくれるひと、

・・・そんなひとをずっと求めていました。

だから、めどがついた今、今度は自分がそんなひとになれるようにと心に決めました。

わたしの使命です。

困ったお父さんだったけど、ありがとう!